Fin Del Mundo

多くの船がここに沈む

世界の果て

2010年8月24日火曜日

今回の旅行の二つ目にして、最大の目玉、世界の果て、アルゼンチンのUshaia(ウシュアイア)の町にやってきました。

ここは、南米の最南端、ビーグル海峡に面した世界最南端の都市です。ここより南には、チリの村、Puerto Williams(プエルトウィリアムズ)がありますが、人口2000人程度の小さな村である上に、元々はチリの軍事基地であったこともあり、冬場のこの時期にたどり着くのは殆ど絶望的。6万4千人の人口を抱え、ちゃんとした空港もあるこの最南端の都市を目指すことにしました。世界最北端の街、Longyearbyan(ロングイェールビーエン)への旅行とあわせて、世界の南北両端を制覇です。

問題のアウストラル しかし道程は平坦ではありませんでした。今回はブエノスアイレス国内線空港(AEP)から、アルゼンチン航空系列のアウストラル航空2898便(MD83)での移動だったのですが、これが大問題。まず座席に座るとなんだか腰が痛い。よく見るとシートが完全にへばっていて右腰下がりの状態になっています。これでは3時間半も座っているのはほぼ無理。フライトアテンダントに頼んで席を移ってみると...

何かが足りないシート 今度の席は何かが足りない。あれ?とよく考えてみると...。

シートベルトがない! なんとシートベルトがありません! シートベルトのない飛行機に乗るのは、1991年ソ連崩壊直前に成田から乗った、アエロフロートのイリューシン以来です。あの頃のイリューシンの安全のしおりには、「この飛行機はソビエト社会主義共和国連邦の技術の粋が集められており、万が一にもトラブルが起きる可能性はないが、IATAが記載するように義務づけているので、ここに脱出方法を記載する」と書いてありました。今回はどうかいなぁと思って、機内誌を見てみると、機内誌の見開きのCEOのお言葉のタイトルが「Recovering Confidence」って、おいおい。

よくよく読んでみると、「2007年度は37%(!!)だった提示発着率が、2008年度には58%になり、2009年度にはなんと77.7%まで回復しました。国際航空評価でも、イベリア航空やアリタリアに並びました!」と誇らしげに書いてあります。アリタリアに並んだと自慢されてもなぁという感じですが、アルゼンチン航空は倒産から再生の過程にあるナショナルフラッグキャリア、とりあえずまずは飛ぶことが最優先で、機体のメンテまでは手が回ってないと言う所でしょうか。日航も同じ道を行くことになるのでしょうか。

ウシュアイア空港 途中鉱山と森の化石の街(後で確認)に寄り道をして、約1時間遅れて13時半に漸くウシュアイア空港に到着です。ウシュアイア空港は硝子と木で出来た非常に美しい建物。30分前に雨が上がったという空が大変綺麗です。

ビーグル海峡クルーズへ出発 空港からホテルまで車で送ってもらって、早速午後はビーグル海峡クルーズに出発です。ウシュアイアの港から、カタマランボート(双胴船)にのって、ビーグル海峡をゆっくりと移動します。

ヤマトがゆったりと横たわる ウシュアイアは南極への玄関口。夏になると南極へのクルーズ船で賑わうそうですが、今は春の初め。ニッスイと契約している南氷洋漁船のヤマトをはじめ多くの船がドックについて体を休めています。

アンデスの末端が街を見下ろす 春の初めのウシュアイアの観光資源はこの雪山。アンデスの末端にある世界最南端のスキーリゾートには多くのスキーヤーが押し寄せます。船の中にはノルウェーのユースのスキーチームのメンバーとおぼしき若者達がたむろしています。合宿できていてついでに観光しているのかなと思われますが、ノルウェーから来たのではそう景色が代わり映えしないでしょうに。

それにしても、今回は変な人たちと良く一緒になります。クスコ行きの飛行機に乗るためにリマの空港でセキュリティーチェックを受けるときには、すぐ後ろで業界人とおぼしき人と一緒のジローさんが「脱げ脱げ♪、見たくない見たくない♪。」と妙にはしゃいでましたし、リマからブエノスアイレスに向かうときには、ペルー・フットボール・フェデレーションと書かれたそろいのジャージを着た、これまたユースの選手団とおぼしき一段に取り囲まれていましたし。そういう星の巡り合わせだったのでしょうか。

ペンギンではなくて鵜 さて、ビーグル海峡クルーズの目玉は、オタリアとペンギンそっくりな鵜の楽園の島の観光。それにしてもこの鵜、発っている姿は本当にペンギンそっくりです。ペンギンは鳥の仲間なのねと思う瞬間。

石造りの灯台 それとこのちょっとフォトジェニックな石造りの灯台。後はただのんべんだらりとビーグル海峡を船で巡ります。

アンデスの山々が海を見下ろす それにしても、海から見上げるアンデスの山々が本当に美しい。空の美しさと相まって本当に綺麗です。北欧でもそうですが、こういう白と青に彩られた景色を、ぴりっと冷たい空気に触れながら見ると、本当に心が和みます。外気温は-3度から5度といったところ。春先ということや、海に面しているということもあるのでしょうが、そんなに死ぬほど寒いぞという感じではありません。丁度いいぐらいの寒さといったところでしょうか。世界最南端とはいってもここは南緯55度。オウルが北緯65度だったことを考えると、ずいぶん赤道に近い感じです。この先には大きな南極大陸が控えているんだなぁと改めて思います。

肉の丸焼き 初日のお食事は、アルゼンチン名物の肉の丸焼き。特にここフエゴ島はラムで有名なところです。ちなみにこの写真はブエノスアイレスでとったものですが、無論ここウシュアイアでも同じように店の表の硝子窓の向こうであばら肉やラムが火にあぶられています。

陽気なおじさんが切り分けてくれる 食事はビュッフェ形式になっていて、皿を持って炉のそばまでやってくると、陽気なおじさんが適当かつ豪快に切り分けてくれます。牛、豚、羊、鶏、何でもござれでいろんな肉を適当に腹一杯楽しみました。

世界最南端の鉄道にここから乗車 二日目は、世界最南端の鉄道に乗車。駅前にはなぜかVISAカード提供の看板の前に日章旗が。それだけ日本人観光客が多いんでしょうか。しかし、南米にいる間、かなりの頻度で「日系ブラジル人か?」と尋ねられたのですが...。

蒸気機関車にひかれてトロッコ列車は走る トロッコ列車は600mmの狭軌のレールの上をこんな蒸気機関車にひかれてゆっくりと走ります。この列車は元々、アルゼンチン政府がフエゴ島の領有を確保するために、刑務所をここに作り、街を作るための役務として作らせたもの。今ではそのうちのほんの一部が保存され、国立公園の中をゆっくりと走っています。

マルビナスとはフォークランドのこと こうやってフエゴ島への入植をアルゼンチンが本格化させたのは、明治時代頃のこと。本当に最近です。ウシュアイアの街には「マルビナス諸島(フォークランド諸島)はアルゼンチンの固有の領土だ(と書いてあるのだと思われる)」横断幕も掲げられています。このあたりも網走や根室と似ている雰囲気です。

世界の車窓から風に そんな入植の歴史を語り継ぐ鉄道も、今は国立公園の中を走る観光の目玉。雪解けの始まった森の中をゆっくりとゆっくりと走ります。

インディアンのパン 鉄道を下りた後はゆっくりと公園の散策。インディアンのパンと呼ばれるキノコなんかを...

中はこんな感じ こんな風にかじってみたりしながら歩きます。ちなみにこのキノコは無味無臭。正直おいしいものではありません。

そしてたどり着いたのは 散策をしていて見えてきたのは...

ここ ここ、国道3号線の終点です。

米国の最南端 ここは、パンアメリカンハイウェイの最終地点。アラスカから一万八千キロの地点です。最南端ツアーのハイライト。米国大陸ここに終わるという看板です。

山も空も美しい それにしても山の景色が美しい。今日もまたいい天気です。高緯度にあるために、あるところから上には木が生えません。ですので、あるところから上には、積もった雪をはっきりと見ることが出来ます。

山も空も美しい さて、一通りの観光を終えて、ウシュアイアの街に戻ってきました。ウシュアイアはロングイェールビーエンと同じく、フリーポートの街。町中に沢山のDuty Freeショップが並んでいます。特に目立つのが電気屋。パソコンや携帯電話が沢山売られています。Duty Freeではありますが、値段は日本と余り変わりません。

きっと最南端の寿司屋 無論この店にあるものは最南端のものだろうと思われます。プエルト・ウィリアムズにあれば、最南端ではなくなりますが、たぶん最南端の寿司屋とか、

きっと最南端の中華料理や 多分最南端の中華料理屋とかがあります。最南端のマクドナルドはと思いましたが、こちらはチリ側の少し北にある街プンタ・アレーナスにあるのだそうです。

最南端のエビータ いろいろ「多分」が多い中、こちらは間違いなく最南端のエビータ像。こんな南の街でもエビータの影響力は強いようです。南米何処の街に行っても、独立の英雄「サンマルチン通り」がありますが、アルゼンチンはこれに加えて何処の街に行っても「ホアンペロン通り」とエビータの像があります。今の大統領もペロン波ですし。何処までも国民に愛されているように見えます。

最南端を後に そんな最南端を満喫する三日間を過ごして、また、がたがたのアルゼンチン航空機で美しい南の島を後にしました。途中ちょっと雪と雨がぱらつきましたが、とても天気に恵まれて、美し山々を満喫できた三日間でした。


どんな工事をするんだろう P.S. ブエノスアイレスで乗り継いでたどり着いたサンチアゴ空港はあっちもこっちも工事中でした。その工事を請け負っていたのは、この会社。

どんな工事をするんだろう 結果として、こんなモニュメントが出来てしまったようです。さすがピタゴラ。