Machu Picchu

マチュピチュを背に記念写真

マチュピチュ

2010年8月20日金曜日

今回一つ目の目玉目的地の一つ、天空の街、マチュピチュに向かいます。

昨日から続く高山病のおかげで頭が痛くてもう一つ眠れないまま午前4時。今日は午前5時に出発してマチュピチュへ向かいます。でも無理矢理に寝たおかげで気持ち悪さなどは抜けてきたので、とりあえず頭痛薬を流し込んで、頭の痛みを力尽くで抑えて、お迎えの車に乗り込みます。

高山病に最も効くと言われているのがコカ茶。コカインを取り出すあのコカの葉で入れたお茶です。飲んでみると確かに少し高山病は楽になります。いろいろ原因はあるように思いますが、これ、多分麻薬成分が少ししみ出していて、それが効いていそうです。酒を一滴も飲めない妻は酒に酔ったような症状がでていましたし、私もほろ酔いぐらいの気分にはなりました。面白いのは、ティーパックタイプのコカ茶だとこの症状が出ないこと。ホテルで飲ませてもらった、ちゃんとコカの葉を煮出して入れたコカ茶でだけ、効果も症状も出る感じです。無論、日本への持ち帰りは御法度ですので、これはお土産にはなりません。

さて、マチュピチュへは徒歩か鉄道でしか入ることが出来ません。そこでまず、クスコから車に乗って約一時間半、山を越えて隣の谷間の街、オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)を目指します。標高は、クスコ(標高3600m)から一端山登り。明かりの殆ど無い、高い山を通る道路からは本当に美しい星空を望むことが出来ます。ぼーっと星空を眺めている間に山を越えて聖なる谷へ、夜が明ける頃、ウルバンバ(標高2860m)をすぎて、マチュピチュ行きの鉄道の出発点、オリャンタイタンボ(標高2800m)へ到着します。だいぶ標高が下がったおかげでずいぶん体が楽になっていきます。

インカレール オリャンタイタンボ駅からは、ペルー国鉄(ペルーレール)が引いたレールの上を、ペルーレールインカレールの二社がオリャンタイタンボ駅からマチュピチュの足下アグアス=カリエンテス(Aguas Clientes)まで列車を走らせています。所要時間は約1時間40分。ものすごくゆっくりとした足取りです。

ペルーレール より上等な列車は、こちらのペルーレール。静かな客車の中ではファッションショーなども開かれるんだそうです。中には、クスコからアグアス=カリエンテスまでの直行の列車もあるんだとか。所要時間は約3時間とのこと。車に乗っていた時間も考えると、そう大差ありません。

ひん曲がった線路 この世界で二番目に高いところを走っている線路は、同時に、世界でも有数の狭い渓谷を縫うように走っています。ですので、洪水が起こるとひとたまりもない。2010年1月27日の豪雨でこの線路が寸断されて、マチュピチュに取り残された観光客がでたのは記憶に新しいところです。 車窓を眺めていると、流されてきた岩石の間に、所々でひん曲がったレールが落ちているのを見ることが出来ます。

その後必死の復旧作業で、二ヶ月後には一部運行が再開され、2010年4月19日にオリャンタイタンボーアグアス=カリエンテス間が復旧、7月1日には漸くクスコまでの全線が普及したそうです。地元ガイドの話では、マチュピチュ遺跡の観光で支えられている周辺の地域は、この二ヶ月間の間に相当の被害を被ったのだとか。

マチュピチュへのバス 標高1800mのアグアス=カリエンテス駅からはバスに乗って、マチュピチュの入り口まで移動。バスは、13個のヘアピンカーブのある葛籠折れの道を通って、標高2280mのマチュピチュへと観光客をひっきりなしに運んでいます。

マチュピチュの入り口 バスを降りると後は頼れるのは自分の足だけ。入場料を払ってマチュピチュへと入ります。このゲートを過ぎたところには、マチュピチュの街のビザを押してくれる所もあったりします。5~6分山道を歩くと...トップの写真に示したような、マチュピチュの景色が現れます。私の後ろに見えるのは、ワイナピチュ。標高2634mのこの峰の上にも同じようにちょっと遺跡があり、ここまでは日に400人程度が登ることが可能です。ここに登るとマチュピチュを含めて360度のパノラマが楽しめるのだとか。でも、これだけ高いところになると、さすがに事故も起きているらしく、時々転落などで怪我をする人もいるそうです。数年前には、この山頂の岩の上で、青天の霹靂に撃たれて一人亡くなっているのだとか。

マチュピチュの峰 ところで、マチュピチュという名前は別にインカ人がつけたものではなく、ハイラム=ビンガムがここに調査に来たとき、渓谷の下に済む地元の人が「マチュピチュの方向の山中に遺跡がある」と伝えたことによるのだそうです。この後ろに見えている、標高3050mの峰が本来のマチュピチュ。ハイラム=ビンガムはマチュピチュの調査を行った後、多くの遺物や財宝をペルー政府に「借りる」と伝えて米国・エール大学に持ち帰っており、ペルー政府はエール大学にマチュピチュの遺物を調査も済んだだろうから返却してくれと裁判を起こしていたりします。

インカ道 さて、その沢山の遺物を残していったインカの人々は、古代どうやってこのマチュピチュまでやってきたかというと、この山に張り付くように続くインカ道を通ってやってきました。このインカ道、ずっとクスコの方まで続いています。

街の門 インカ道から続くこの門をくぐるとマチュピチュの街に入ります。ひとたび足を踏み入れてびっくり。

マチュピチュの街 確かにこの門をくぐった途端、すっかり「街」の様相です。二階建ての家々が並び、倉庫が並び、学校があり、人々の生活の息づかいが聞こえてきそうな雰囲気です。この人達を支える水は、先ほどのインカ道が山の向こうに消えていった当たり、「太陽の門」と呼ばれる当たりにある、アンデスの雪解け水をたたえた泉から引かれています。インカ人の治水技術は本当にすごいものがあったようです。このインカの水道、今もこの当たりではそのまま使われているのだとか。

地盤沈下の後 もう一つインカ人が優れていたのが建築技術。この街の石組みは、実は小さな玉砂利の層の上に築かれており、地震が来ても壊れないようになっているのだそうです。まさに古代の免震構造。阪神淡路大震災の後、京大の人たちが調査に来たという話を、ガイドのお兄ちゃんが教えてくれました。僕も京大から来たんだよと言うと、それなりに驚いていました。ちなみにこちらの建物が崩れているのは地震ではなくて地盤沈下。重たい石を積み上げると、沈下速度が必ずしも一定にならずに壊れることがあるようです。なお、この壁の上の方に見える台形のくぼみ、これは窓ではなくて、建物の「ショックアブソーバー」これも地震などの時に建物が崩れるのを防ぐために、力を逃がすための仕掛けだったと考えられているのだとか。

マチュピチュの「日時計」から太陽の門を望む 後はどの文明でも同じですが、暦の技術。マチュピチュの中にもクスコにも多くの神殿があり、その何れもが、太陽を望む窓を持っていて、その窓から太陽が見えたときが、春分や秋分などの季節の変わり目を示すのだとか。マチュピチュの一番高いところにあるこの石から、太陽の門を覗いたとき、丁度太陽の門から太陽が上がってくれば、それは春の始まり、種まきのシーズンを示します。スペイン人が攻め込んできたときには、どの街にもこういう「日時計」があったとのことですが、キリスト教布教の邪魔になると考えたスペイン人は全てを破壊していったのだとか。スペイン人に存在を知られることがなかったここマチュピチュの日時計が生き残っているのは、幸運な偶然なんだそうです。

そんなお話を聞き、古代に思いをはせながら一日歩き回って、バスに乗って麓の村に下りてきました。マチュピチュは、実際に訪れて、その壮大なスケールを体で感じて、実際に歩き回って古代人の生活感を肌で感じないとだめだというのが実感です。こうやって写真を並べて見返してみても、あのスケール感は到底表現することは出来ません。

村の復興は続く さて、村まで下りてきてみると、先日の洪水で流れ込んだ岩石を取り除いて、生活を取り戻すための作業が今も続いていました。古代も現代も人の営みは同じです。観光客は戻ってきましたが、本当の意味で生活が元に戻るまでには、まだかなりの時間がかかりそうです。

インカレールに乗って古代を後に そんな風景を眺めながら、インカレールのうるさいディーゼルカーに揺られて、クスコの街へと戻っていきました。クスコに着いたのは24時。アグアス=カリエンテスからずっと登り道を戻ってきましたが、今度はゆっくり上がったおかげか、高山病にはならずに済んだようです。