No niin, nähädään

TOL

じゃ、また。

2006年9月28日木曜日

すっかり町は秋模様。21日にはLumijokiから初雪の便りも届き、26日には日中の気温が5度ぐらいまでしか上がりませんでした。秋模様と言うよりも、すっかり冬の準備という方が正しいかも知れません。フィンランド人の服装もすっかり冬向き、厚手のコートに手袋という出で立ちです。フィンランド語で10月はLokakuu(泥の月)、11月はMarraskuu(死人の月)。冷たい雨が続き、秋分を過ぎて日に日に日照時間が短くなり、Joulukuu(クリスマスの月)、12月に雪が降るまで暗く冷たい最もつらい時期が続きます。こんな時には勉強したり、働くしか有りません。9月に新学期が始まって、10月11月が最も盛んに講義が行われる時期でもあります。次の夏に稼いだ金をぱーっと使うまで、今から我慢してしっかり貯金です。

紅葉 ぐっと冷え込んだおかげで紅葉も一気に進みました。TOLの駐車場の木々もすっかり赤くなっていますし、

もうひとつ 大学の周回道路の白樺の葉も、すっかり黄色に色づきました。

箱庭ラップランド 大学の教会前の一角などは、トナカイ苔の間の地衣類が紅葉して、すっかり「箱庭ラップランド」状態になっています。夏の乾燥のおかげで立ち枯れしている惨めな木々もあちこちに目立ちますが、ちゃんと美しい紅葉がやってきました。

秋がやってきて、私の滞在も終わりを迎えます。7ヶ月間の短いぱちもん教授はその役割を終えて、帰国の途につくことになります。楽しい、楽しいフィンランドの夏は終わり、24時間戦う日本の生活に戻って行くことになります。ま、こちらでこなす約束になっていた仕事は一通り終えられましたし、5年越しの約束をやっとちゃんと果たすことが出来て少し肩の荷が下りた感じです。

それにしても、5年前とはずいぶんいろんなものが変わりました。全く手に入らなかった和食の食材が手にはいるようになり、アジア食材には事欠かず、生活の中で「アレが食べたい、どうしても食べたい」という状況になることはなくなりました。オウルの人の服装もすっかりおしゃれになり、なんだか生活も少し「都市化」したような感じを受けます。

もう一つはインターネット。5年前にはぶつぶつ切れて殆ど使い物にならなかったIP電話は今ではすっかり当たり前になって、時差の問題を除けば、殆ど日本とのコミュニケーションには困らなくなりました。思えば15年前、1991年の滞在の時は電話と手紙を使うしかなく、1994年には電子メールを「フィンランドに滞在する間のコミュニケーション手段」として家族に教えた時代が懐かしいような感じです。私のような「IT-guy」の仕事は、普段から半分以上がメールでこなされていますから、フィンランドにいようが日本にいようがそう差はなかったような気がします。5年前よりは確実に日本の仕事にリアルタイムで追いかけられていました。もはや海外留学は、日本の仕事からの「エスケープ」にはなりえないようです。一昨日にも「あ、今海外ですので、お返事が遅れてすいません。」と書いて初めて、私が海外にいると知った方がおられましたし。自分はもしかしたらネットワークの中だけにバーチャルに存在するのかなと思ってしまう瞬間です。

祭りの後 一昨日は我が家で「お別れパーティー」。秋に入るこの時期は風邪を引く人が多く、何人かは風邪を引いてくるに来られなかったようですが、風邪をおしておみやげを届けるためだけに来てくれたやつも含めて、沢山の友人が集まって遅くまでわいわいと盛り上がりました。11時過ぎに彼等が帰った後はすっかり祭りの後。

荷造り そして、昨日は朝から荷造り。半月ほど前から順番に荷物を送り出してはいたのですが、やはり最後の最後まで生活に必要な物は残っていて、なかなか全てを詰め切るのは大変です。

ダウン 私よりも当然妻の方が仕事は大変。途中でへたばって一休みです。

箱詰め 最後はオフィスに出かけていって、どうしても最後まで必要だった本達を、半年間本箱として活躍したゆうパックの箱に箱詰めしてこちらも後片付け。

片付け お世話になった技官さんにオフィスの鍵を返して、オフィスにもお別れ。別れ際に「また来年」と声をかけられました。昨日もみんなから「次回の予定は決まってる?」ときかれました。考えてみたら毎年なにかの形でオウルには来ていますから、また来年も来るでしょう。きっと。

そして今日は、半年お世話になった部屋にもお別れ。5年前と同じ所に暮らしたおかげで「我が家感」たっぷりの滞在でしたが、この家もこの冬には改装されるのだとか。オウルはどんどん変わっていきます、次に来たときは違う顔を見せてくれるでしょう。

考えてみたら、日本では親王様がお生まれになって、総理大臣も替わりました。7ヶ月は短いようで長い。日本も少しは変わっているのかなと言う気もしますが、どうなんでしょうか。もし私がタイ人だったら、国に帰れるかどうかも定かではないわけですからね。とりあえず、飛行機さえ飛べば、何とか無事に帰れるんじゃないかと思えるだけ、幸せなのかも知れません。

明日朝8時半の飛行機でオウルを後にします。最後にオーロラが見えるかなと期待していましたが、今年は結局縁がありませんでした。また次の機会に見ることにしようと思います。ま、きっと来年もちらっとは来るでしょうから。

ということで、この日記も今日でおしまい。ここまで私のうだうだ話につきあってくださった皆さん、どうもありがとうございました。またそのうち、こんな事をする機会もあるでしょうから、その時までしばしのお別れです。

というわけで、「じゃ、また。」