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弾丸ツアー

2006年8月29日火曜日

さて、今回の一連の旅のハイライト、弾丸ツアーです。27日にヘルシンキで予定をこなした後、28日にはストックホルム近郊へ、そして今日29日は英国ブリストルへ飛んで、30日から始まる学会に出席するために、ヘルシンキへとんぼ返りというスケジュールです。しかも先日のテロ疑惑以降、セキュリティレベルをものすごく引き上げているヒースローを経由するという、ちょっと考えただけでも絶望的なプランです。さてどうなる事やら。

前日27日は翌朝が早いと言うことで空港近くのホテルに一泊。このホテル、1991年11月に初めてフィンランドに来たときに最初に泊まったホテル。このときは崩壊直前のソビエト連邦を、無謀なことに初めての海外一人旅で通り抜けて、サンクト=ペテルスブルグから列車でヘルシンキに入っての一泊でした。ヘルシンキにやってきたときに「あ〜西側に来たんだ」と心の底から重い、このホテルでシャワーを浴びて「あ〜お湯が出る〜幸せ〜♪」となったのをふっと思い出します。

アーランダエクスプレス 旅の初めは比較的ゆっくり。28日はヘルシンキ=バンター空港発8時25分発のBlue1のフライトで、ストックホルム=アーランダ空港へ。価格の安い便と言うことでこのフライトで飛んで、8時25分にはストックホルム=アーランダ空港着。フィンランドはEEST(東ヨーロッパ中央時刻)、スウェーデンはEST(ヨーロッパ中央時刻)ですので、1時間の時差がある関係で、出発したのど同じ時刻にスウェーデン着です。アーランダ空港からストックホルム市内までは、アーランダ=エキスプレスでにのってあっという間。9時前にはストックホルム市内に入ってしまいました。

ノーベル博物館 今日のアポイントは午後2時からですので、比較的時間があります。ということで前から計画していたノーベル博物館に行ってみることにしました。駅の一階にあるインフォメーションで場所を確認して、王宮のあるガムラスタンの一角にあるノーベル博物館へ。この博物館は、2001年4月にノーベル賞設立100周年を記念して設立されたもので、比較的新しい建物。ストックホルムはちょこちょこ来ているのですが、そんなこんなで見たことがなかったのでやってきてみました。60スウェーデンクローネなりを払って中に入ってみたのですが、ノーベル賞歴代受賞者のポートレートが天井をぐるぐる動き、いくつかのノーベル賞にまつわる展示物が並べられ、過去のノーベル賞受賞者のビデオが見られる施設といったぐらいで、正直な感想は「しょぼい」。うーん、なんだか期待はずれだなぁという感じです。もちろんここの説明を読んでいると、なるほどと思うことはいっぱいあるのですが、博物館まで足を運ばなくても様々な文献で読める程度のものですし、ストックホルムに来た「ならでは感」はありませんでした。ちょっとがっかり。しかも、博物館の壁にはトーマス・アルバ・エジソンや西澤潤一など、ノーベル賞を(まだ?)とっていない人たちの「名文句」が書いてあったりして、「ノーベル賞と何にも関係ないじゃん」と思ってしまいました。なんだかいろんな意味で中途半端。

焼き鳥定食 その後は、ガムラスタンから駅の方へふらふら歩きながら、お昼ご飯どこで食べようかなぁと店を物色していると、"PONG! Asian"の文字が眼に飛び込んできました。似たような店が二軒並んでいて、片方がThai、片方がJapaneseと書いてあります。どうしようかなと思いましたが、「変な和食に挑戦もいいだろう」と言うことで、Japaneseへ。いろんなメニューがある中から、これ、"Yakitori"を頼んでみると、これが意外にちゃんとした焼き鳥。生野菜のサラダが一緒に入っているのは北欧らしいですが、結構おいしく食べられました。英語がもう一つ通じないなぁと思っていたら、私が食事を終えて店を出る頃には、どちらの店もスーツ姿のスウェーデン人の大行列。どうやらストックホルムでは地元の人に人気の昼ご飯スペースのようでした。この日は晩ご飯もアジア料理にしたのですが、基本的に焼き鳥は人気メニューのようで、その後どこで見た店にもちゃんとメニューにありました。照り焼きと同じで、こういう「甘辛ソース」系の肉料理は受け入れやすいんでしょうね。

で、この日は午後無事に仕事を終えて、ストックホルムの駅のそばで麻婆豆腐の夕食。横で"Shake-Sushi"という名前の鮭ばっかり8貫の寿司セットを頼んだ白人が携帯電話をとるやいなや"Hei...Nyt, syön sushia... Joo, Oikea Hyvää."(もしもし。...今寿司喰ってる。...うまいよ。) ずるっ、隣国とはいえ、ここでもフィンランド人ですか。何でフィンランド人とは食べるところか飲むところでしか出会わないんだろう、それにしても。

イギリスで泊まると高くつくので、この日はアーランダ空港近くのホテルで一泊。

さて、今日29日のスケジュールは、アーランダ7時55分発のフライトで、9時40分ヒースロー入り。そこから電車で約2時間かけてブリストルへ行き、見学の後18時ヒースロー発のフライトに飛び乗って、ストックホルム22時45分発の飛行機に乗り継ぎ、ヘルシンキ午前0時40分着というまさに強行軍。ヒースローの警戒状況を考えて、パソコンなども全部ヘルシンキに残して、一泊分の荷物と行き先などを確認するのに必要な書類とメモ帳、カメラだけを携えての旅行にしています。

飛行機に乗り込む前、なんか翼に階段をかけてしているなぁと思いながら、SAS・スカンジナビア航空のMD81に乗り込み、後は出発だからとちょっと寝ていると、しばらくして放送がかかって眼がぱっちり。「皆様、当機は一端スポットを離れましたが、左エンジンがかかりませんので、スポットに戻り、部品を交換いたします。交換には約45分を要します。乗り継ぎなどが必要な方は、乗務員までお申し付け下さい。」

え〜〜〜!!!

時計を見ると既に40分以上遅れています。もともと現地での予定は2時間。ということは、この遅れで現地で仕事をする時間が無くなったと言うことを意味します。すぐに乗務員に「現地で2時間しか予定がないところを、2時間遅れたら何も出来ない。ロンドンに飛ぶ意味がない。今日中にロンドンの後ヘルシンキに戻らないと行けないんだ。」と伝えると、「ロンドン発ヘルシンキ行きの最終便が手配できるか、地上係員に調整してもらおう。」ということで、とりあえず機体を降りてブリッジへ。地上掛員を待っている間にブリストルに電話をすると、「了解。まっているから、いつでも来てくれ。」とのありがたいお申し出。

しばらくして、地上係員が「ヘルシンキ直行便は一杯なので、とりあえず全てのフライトをキャンセルした」とのこと。「ちょっとまってくれ、それでは困る。じゃ、次善の策としてストックホルム着の最終便でロンドンから戻ってきて、経る式に翌朝飛ぶというのは可能かやってくれ。」と頼むと、「とりあえずゲートで」ということで、ゲートへ。フライトを手配すると、ストックホルム21時5分発のフライトが手配可能で、午前0時半にストックホルムに到着できて、翌朝6時45分発で午前8時40分にヘルシンキに着けるとのこと。とりあえずフライトは手配できて、ホテルの手配となったところで、「もうすぐ出るから飛行機に戻ってくれ。ホテルは、ストックホルム到着時に地上係員に尋ねてくれ。」と言われてフライトに追い込まれてそのまま出発。

ヒースローエクスプレスを待つ人々 飛行機はほぼきっちり2時間遅れてヒースロー到着。イギリスはシェンゲン協定に加盟していないので、同じEUの国ながらパスポートコントロールがあり、ここでもちょっと待たされます。いかんせん、セキュリティが厳しくなっていますからね。それにしても、EUとユーロとシェンゲン。このややこしいねじれの関係どうにかならないのかなぁと思いますが。パスポートコントロールを通って、ロンドン中央部のPaddington(パディントン)駅へ向かうヒースロー・エクスプレスの地下ホームに降りるとまたすごい人。放送が流れるのを聞いてみると、どうやら列車が遅れているようです。

あっちゃあ。

パディントン駅 パディントン駅に着くと、乗ろうと思っていた12時15分発の列車は出たすぐ後。仕方がないので「たしか時刻表には15〜30分おきにあると書いてあったから」と電光掲示板を見ると、それらしい列車がありません。電光掲示板の下にあるインフォで聞いてみると、「次のBristol Temple Meads行きの列車は13時15分発よ。」え〜45分も列車がないの? じゃ、戻りは? ということで、「ヒースロー9時のフライトに乗るから、2時間前の7時につける列車は?」と聞くと、Bristol Temple Meads駅を16時15分発とのこと。その次の列車を確認すると17時。をひをひ。後で知ったのですが、どうやら現在この方面の線路で大幅な「路線付け替え工事」をしているらしく、列車の本数が減っている上に、停車駅まで変わっていたとのこと。なんか今回はツキがありません。

回転寿司!! とりあえず、ブリストルの訪問先に電話をして、「15時着の電車で行くけど、よい?」というと「おお、イギリスに来れたのか、じゃ待ってるから是非来てくれ」とのありがたいお言葉。列車に乗るのに何か食べておこうと思って、駅構内をみると、真ん中に「でーん」と店を構えているのは、なんと回転寿司屋。ヨーロッパの日本食ブームは来るとこまで来た感じ。というより、もう一つのカテゴリとして、立派に根を下ろしている感じです。

お弁当 で、この店で手に入れたお弁当を持って、列車へ。みそ汁付き弁当の名前は「仏禅」。仏教とも、ましてや、禅宗とは全く関係なさそうな生臭系の寿司弁当を食べながら、2時間のんびりの列車の旅です。時間はありませんが、他に交通手段がないから、のんびりする他無し。殴りたくなるほどのんびり走る、First Great WesternのBristol行き特急列車は、トップの写真のような、いかにもイギリスな町と、「そういえば、狂牛病も、口蹄疫もイギリスが発祥だったよなぁ。」と思い起こさせる景色を交互に車窓に映して行きます。

15時にブリストル駅について、タクシーで大急ぎで現地へ。ありがたくもずっと私を待っていてくれた、先方の所長と打合せ、更に見学を慌ただしくすませて、「16時15分に乗るならもう出ないと間に合わない」とせかされて、タクシーに飛び乗り、また駅へ。ところが駅までの道は帰宅ラッシュの大渋滞。タクシーの運ちゃんの「トヨタの車は世界最高だ。ハイラックスサーフは、俺の生まれ故郷のパキスタンでは荷台にロケットランチャーをつけて、戦車代わりに使われているんだ。このエスティマも最高だろう。だから是非トヨタに「車いす乗車可能」な機能を持った、タクシー用車両、例えばエスティマなんかを改造して、車いすが乗る上に、5人客を乗せられる車をつくって、ヨーロッパやアメリカで販売するように言ってくれ。絶対に市場はあるんだから。」という話を聞きながら、苛々と駅へ。駅について、ホームに駆け込むと...

一足違いで列車はホームを滑り出していきました。

がっくり。

出発 慌てても仕方がないや、ま、チェックインもストックホルムで住んでいるから、2時間前じゃなくても大丈夫だろう。と自分に言い聞かせて、駅で晩ご飯の物色。駅には「出汁」という名前のみそ汁と、ジュースと、パンと、寿司を売っている店がありましたが、さすがにずっと和食もなぁということで、英国風の"Original Pantry"というスタンドで、ミートパイを買って列車へ。ロンドン・パディントン駅まで、またまたのんびりの旅です。

ビール ロンドン・パディントン駅でヒースローエキスプレスに乗り換えて、ヒースローのSASのカウンターへ。2時間は切ってますが、特にお咎め無し。水どころか、歯ブラシのペーストやらコンタクトレンズ駅やら迄捨てさせる、徹底したセキュリティチェックを通過すると、大量の水のペットボトルが売られている待合室へ。当然水の値段は高め。商売のためにセキュリティチェックを導入したんじゃないかと、疑いたくなる状況の中、飛行機を待って、パブへ。"A beer"と頼むと1pint(パイント)もやってきて、とても飲めたものではありませんから、"A glass of Guiness"を頼んで、静かに一杯です。とりあえず、ストックホルムまでは帰り着けそう。

それにしても、私はどうもイギリスに縁がない。ロンドンは何度も来ているのですが、ロンドンブリッジも、ビッグベンも、何も見たことがありません。いつも、夜の飛行機で来て、会議場に数日詰め込まれて、朝の飛行機で次にといった具合です。次は、ちょっとぐらいゆったりめのスケジュールで来なきゃなぁと、いつものように反省です。

で、SASはいつものようにヒースローを遅れて出発。私はどうもSASと相性が悪いのか、ほぼ必ずと言っていいほどフライトが遅延して、最悪の場合はストライキに巻き込まれます。悪いのはSASなのか、私なのか。でも、あの遅れ慣れしているスタッフを見ていると、「きっと、日常茶飯事なんだろうなぁ。」という気がしてなりませんが。

アーランダ空港に着いたのは、午前1時過ぎ。パスポートコントロールを通って、地上係員を捜しながら歩いてみましたが、人気は全くなし。気がついたら到着ロビーです。「困ったぞ」と思って、到着ロビーのバーの店員に「SASの地上係員に連絡を取りたいんだが」と聞くと、「そこのインターホーンを押せ」とのこと。押してみると係員が「おまえが黒田か?ホテルはここだ、タクシーチケットに行き先を書いたから、渡せばつけるから」とのこと。ちゃんと手配してくれていて、一息です。

で、指定されたタクシーに乗って、チケットを渡すと、「どこだここ?」とのこと。とりあえず彼がここだろうと思ったところに連れて行かれたら、Norra Slottというお城。「ここじゃないだろう、なんぼ何でも。」ということで、彼がもう一回SASに電話をして確認してくれたところ、目的地はNora ParkではなくNova Park。どうやら字が汚くて読めなかったようです。そんなこんなで回り道をしながら、午前2時過ぎ漸くホテルへ。翌朝6時45分発だという事で、5時45分に空港に来いと言われたと伝えると、「聞いている」との返事。この辺、SASは親切に手配してくれたようです。「タクシーは5時30分に呼ぶから。何時に起きる? 朝食はどうする?」と聞かれて、「5時10分に起こしてくれ。朝食はいらない、ぎりぎりまで寝ているよ。」と伝えて、漸く床につきました。

ヘルシンキ大聖堂 翌朝は無事に飛行機に乗って、ヘルシンキへ。泊まる予定だったホテルに預けていた荷物を拾って、その日からの市内のホテルに荷物を運び込んで、その足でそのまま学会会場へ。荷物を減らした関係で、着替えもありませんでしたし、ヒゲを剃ることも出来ませんでしたし、しかもばたばた走り回っていたので、それなりに汗もかいていましたから、見るからに疲れていたに違いありません。

"Trable is origin of travel."とはいえ、

あー疲れたぁ。