Lapinkulta

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ラップランドの黄金

2006年8月3日木曜日

事の初めは、私が日本を出る直前、オウル大学からボスが日本においでになった今年2月。ご飯を食べに出かけた席で、「何のおみやげも持ってきていないんだけど、これがおみやげと言うことで」と渡された「貴方を8月ラップランド金堀ツアーにご招待します」との一片の書き付け。今週は日本を出る前から決まっていた数少ない予定、ラップランド金堀りツアーです。

元を辿ると、2年前の秋、オウル大学を訪れた際に同教授と訪れた、Tankavaara Gold Prospector Museum。タンカバーラというこの小さな街ではラップランドの金にまつわる様々な歴史が学べると同時に、ゴールドパンニング体験などもさせてくれるのですが、これにすっかりボスは魅せられて、翌年金堀りを敢行。最高の夏休みの遊びだと言うことで、今年も去年に続いて金堀りの旅と相成ったわけです。

キャンピングカー接続 7月30日月曜日正午、ボスのランドクルーザにキャンピングカーを接続し、これに別の車もう一台を連ねて出発。一路、今回のツアーの基地となるSaariselkä(サーリセルカ)を目指して北へ北へと向かいます。まずは、オウルからラップランドの玄関口Ravaniemi(ロバニエミ)へ約4時間半の旅。ロバニエミ空港でヘルシンキから飛行機でやってきたもう一人の教授親子と合流です。ぱちもん教授の私を含め、オウル大学教授三人による家族連れ金堀りツアーです。

ロバニエミは、1991年12月に最初に私がフィンランドに来たときに降り立った空港。空港の向かい側にはサンタクロース村があり、私のフィンランドでの最初のボス、Mr.Santaclauseが年中仕事をしています。今回久しぶりに来てみてびっくりしたのは、Santa's technology centerなる建物が出来ていたこと。WEB記事によると、この中にはJoulupukki TV(サンタクロース・テレビ)等を中心に、サンタクロースにまつわる様々なICT関連の研究が盛んに行われているようです。1991年に私が来た頃はまだつましい家族経営状態だったことを考えると、格段の進歩。流石フィンランド、この15年の間にすっかりIT化が進んでいます。

道はまっすぐ ロバニエミから更にサーリセルカを目指して北へ(地図は20km北にある隣町Ivaroで検索しています)、ラップランドの道はまっすぐ続き、制限時速は100km。ロバニエミを過ぎると交通量もぐっと減りますので、スピードを出して駆け抜けることが出来ます。

トナカイ でも気をつけないと、不意に道路の脇からPoro(ポロ、トナカイ)が飛び出してきます。トナカイには所有者がいますので、はねたら大変。車が壊れるだけではなくて、損害賠償まで発生してしまいます。トナカイならまだお金で済みますが、エルクでも飛び出してきた日には、体が大きいのでフロントグラスを破って車に体が飛び込んできてしまうのだとか、死亡事故になること請け合いです。ということで、余り速度を出すのは危険です。まぁ、キャンピングカーを引いた状態では、時速85キロが制限時速ですから、そんなに速度も出せませんが。

ショッピングセンター 金の取り方、金がどうやって集積されるのか、金にまつわる様々な歴史などなど、金にまつわる様々な話について、両教授に指導を受けながら、ロバニエミから走ること約4時間。ようやく、サーリセルカの街に到着。サーリセルカはすっかり観光化が進んでいて、フィンランドでも有数のスキーリゾートがあり、春はスキー(フィンランドで冬場にスキーをするのはほぼ無理ですから)、夏は金堀り、秋は紅葉、冬はオーロラが楽しめる施設になっています。立派なホテルが何軒もありますし、ショッピングセンターもこの通りちゃんとあって...

看板 各国語で案内が書いてあります。しっかし、日本語とロシア語の妙な手書き感がやたら気になりますが。

このサーリセルカという街、教授の話によると街にある観光施設のほぼ全てをたった一人のフィンランド人が実質的に所有しているんだそうです。街を作り上げる財源になったのも金。ゴールドラッシュがラップランドにあった時代、そこで一山挙げてそれを飲みつぶした数多くの山師の中で、数少ない成功者の一人として数えられているだとか。それにしても、フィンランド人の有名人の話になると、金堀りの山師達に限らず、シベリウスを先頭にやたら酒に溺れて人生を終える輩が多いのはやっぱり国民性なんでしょうか。色とりどりの有名人の話が、全て"Then, he becomes drunken afterwards."という、おきまりの台詞で終わってるような気がします。殆ど日本昔話の「幸せに暮らしたんじゃそうな。めでたしめでたし。」と同じのり。

ログハウス サーリセルカではこのログハウスに泊まります。このログハウスに使われているのは殆どラップランドの木々です。寒いせいで成長が遅いですから年輪の間が詰まっている上に、日が当たる時期は殆ど白夜ですから、全方向から均等に光が当たるせいで、年輪に偏りが無くて見事な同心円状。建材にするには堅すぎるのかも知れませんが、がっちりとしてログハウスを造るには最適という感じです。このログハウスの木々も太くはないですが、年輪を数えてみるとほぼ樹齢100年前後のものばかり。

目印 翌日火曜日からは、ゴールドラッシュ時代に最大の金の粒が取れたというHangasoja(ハンガソヤ)で金堀です。ハンガソヤ周辺にはこのあたりの金鉱跡をまわるサイクリングコース等もあったりします。メインストリートの脇にこの何ともシュールな木の人型の看板を見つけたら、ここがサイクリングコースの入り口。

道なき道 ここから、オフロード車じゃないと通れないだろうと言うと道を30分程度走ると...

到着 突然キャンピングカーが何台も止まっていて、テントが一杯立っているところにたどり着きます。ここが金鉱。今は観光用の金堀りを専門にやっていますが、まだちゃんとした金がでると言うことで、本物のゴールドハンターもまだまだやってきています。人によっては一夏中ここで過ごして、11月の半ばまで金を探していたそうです(当の本人から直接聞いた話)。11月の半ばには-30度を軽く記録して、当然金堀りなど出来る状況ではないですから、単にここの生活が気に入っているだけなんでしょうけど。

穴ぼこだらけ ここから谷底を望むとこんな感じ。見事に穴ぼこだらけです。あっちもこっちも掘られていて、そこに金堀道具一式が点々と並んでいます。中には重機なんかもあったりしますが、これがなんと個人の持ち物らしく、本格的に金を掘っている人のものなんだそうです。

サウナ小屋 それにしても、フィンランド人はすごいなぁと思うのは、こんな所の生活でもやっぱりサウナを作ってしまうところ。この小屋、横から煙突がでていますから間違いなくサウナです。えらいしっかり建っています

サウナカー こちらは一見キャンピングカーですが、それにしてはやたら小さい。しかも薪がどかっと摘んであるなぁと思って中を覗いてみると...

中はこんな感じ こんな感じ。やっぱりサウナでした(笑)。この移動式サウナには、フィンランド人の教授陣もびっくり。早速どこで売っているのか調べて購入しようと色々現地人に聞いていました。なんだかその熱心さを見ていると、何となくほほえましくさえなってきます。

金分別装置 さて、実際の金堀はどうするかというと、こんな装置をつかいます。まず箱の装置を大体15度ぐらいの傾きになるように設置します。この角度が大事で、傾きすぎていても、水平すぎてもちゃんと金が分別できません。

金堀開始 そこに水をざーっと流しておいて、箱の一番上にひたすら掘った土を投げ込みます。

石をのける 投げ込まれた土には当然石が含まれていますから、石の表面に付いた土を丁寧に習い流してから取り除き、他の土は流れに乗せて下へ下へと流します。

装置の肝 流れたミニ土石流は、このマトリックス状のゴムマット上を通るときにわずかな渦水流を作ります。この渦水流によって軽い砂粒は流され、重い金だけがマット上に残るという仕掛けです。時々こうやって硝子板をかざして強制的に水流を作って細かい砂利をとばしてやると、こんな風に砂金がマット上にあるのが確認できます。

パンに移して で、砂金が見つかったら、大きい粒はピンセットで広い、残りの砂をこんな風に洗い流して、パンの中に流し込んだら...

パンニング 後はご存じパンニング。水を入れて遠心力で軽い砂を洗い流していって、金の粒を取り出します。まぁ、基本的には体力と根気の作業です。

ラダー それじゃあ、大粒の金は流れて行くじゃないかという方もおいででしょうが、それを留めるのが装置の最も下側にあるこの梯子状の所。ここで大きな重たい粒は引っかかります。放っておくとここが砂で一杯になりますから、ここを時々掃除をするのが大事な仕事の一つです。

ドイツ軍の忘れ物 あとは、どこを掘るかが重要になります。金を探すんだから金属探知機を使えばいいだろうという常識的な発想は、ここラップランドでは通用しません。ラップランド戦争時にドイツ軍が残していった、こんな金属物(写真はねじ回し)があちらこちらに落ちていて、金属探知機が役に立たないからです。何でもたまに戦時中の地雷にトナカイが踏み込んで爆発することがあるんだとか。Wikipediaの記事にもあるとおり、フィンランドは第二次大戦でソ連とドイツとの両面戦争を余儀なくされ、焦土となったうえに、ソ連へのカレリア割譲、多額の賠償金といういくつもの不幸を味わう事になったのですが、その爪痕は今もこのラップランドに残されています。

酔っぱらいの熊 さて、黙々と作業をすること三日。丁度硝子板をあてて様子を見ていたヘルシンキの教授の息子さんが "Tassa Iso!"(これ、大きい)と飛び上がったので、ポンプをとめてみると、丁度ゴムのグリッド一個分もある大きな粒が一つ。写真の通りの金の粒です。やりぃ。形もまたふるっていて、どこから見ても「酔っぱらいの熊」。

開始時 この「酔っぱらいの熊」を筆頭に、この山が...

終了時 こんなになるまで掘って、最終1.5g程度の砂金が収穫できました。日本最大の金山、鹿児島県菱刈金山の様なわけにはいきませんし、当初目標にしていた、「少ない教授給料の足しにする」というわけには行きませんでしたが、まぁ、よしという所でしょう。

トナカイ 黙々と土を掘っていて、気がついたらトナカイに間近に迫られていたなんて経験も出来ましたし、体中を虫に食われましたし、いろんな意味でラップランドを堪能した一週間でした。ボスからは「来年も同じ時期にやるから是非来てくれ」とのお誘いを受けましたが、8月に日本から飛ぶと航空運賃が高いですから、なかなか難しそうです。この時期のラップランドは最高ですし、夏をラップランドで過ごすと、私も別荘の一件も探そうかなぁという気にいつもなる位、是非とも遊びに来たいとは思うのですが...。


P.S. ラップランドに行かないと見られないものと私も初めて遭遇したので写真を一つ。

郵便バス このちょっと変わった形のバスは、ラップランド名物郵便バス。ロバニエミより北側の地域では、定期便のバスが郵便配達も併せて請け負っています。バス停には必ずと言っていいほど大きな郵便受けがあり、後ろ半分に積まれた郵便物が配達されるというわけです。何とも効率的。


P.S.2. ラップランド個人旅行をしようと言う方にお勧めのお店を一つ。

ラップランド奥地のお店 ラップランドをずっと北上して、Kaamanen(カーマネン)というところまで行く気力があれば、ここのJuustoleipaをお試しあれ。私が食べたJuustoleipaの中で、ここのがいちばんおいしいです。今年も味は落ちていませんでた。あんまりツーリスティックにあって、味が落ちても困りが、つぶれても困りますので。