Portugaliin

葡萄

葡萄牙へ

2006年7月1日土曜日

はい、このタイトルが日本語だけで読めた方は相当な通です。私もWikipediaを引いて初めて知りました。学会に参加するために、行ってきました葡萄牙は葡萄。しつこいって? はい。すいません。やってきました。ポルトガルはポルト。ここはポルトガル王国発祥の地です。

大西洋 ポルトガルは海洋王国として発達した国。大航海時代、人々はここから大西洋に漕ぎ出し、世界に向かって旅立っていったわけです。今ではすっかり欧州の小国ですが、一度は世界を制覇した歴史を持ちます。世界の海を静止、遠く東洋の日本まで文化をもたらしました。そう、ポルトガルは日本とのつながりの古い国の一つ。日本語の中にも知らない間にポルトガル語が入り込んでいます。一番典型的なのがパン。ポルトガル語由来なんですねこの言葉。町中のパン屋さんに行くと、パンデローという名前のカステラの親分みたいな、顔ぐらいの大きさの焼き菓子が売られています。街から一歩足を伸ばすと、こんな風に大西洋を望みながら優雅にお食事が出来たりします。

胸像 海洋国の海に面した高台に行けば、必ずこんな具合に胸像があります。きっとその昔七つの海を制した国王か、海洋王の胸像なんだろうなぁと思いながらプレートに目をやると...。

胸像 どうやら海洋王国は、琉球でもそうですが、長寿王国のようです。この人400年も生きていたんですね、しかもつい最近まで。残念ながらギネスブックには認定してもらえていないようですが。

たて積み 閑話休題。ポルトは大西洋に面した河口の港町として栄えた街。河口には古い建物が所狭しと建っています。河口とはいえ、両岸は断崖絶壁。その上の高台に向けて街が広がっている形です。なのでどうしても河の側はこんな感じで縦積みになります。この3D感が美しい街の景観を創り出しています。色々回ってみましたけど、やっぱり月並みに観光船に乗って、河から街を眺めるのが一番美しいような気がします。

ケーブル 5-6年前に来たときには下から上への移動は歩くかタクシーしかなかったような記憶があるのですが、ポルトの街の象徴、ドン・ルイス一世橋の袂にケーブルカーが設置されていました。このケーブルカー下が蛇腹構造になっていて、水平から急角度まで変化する軌道を、室内を傾けること無く移動する優れものです。上の街では地下に潜り込んでいて、2005年に開通した地下鉄の近くまで通じています。地下鉄工事の影響なのか、あっちもこっちも工事中で、たどり着くにはそれなりに歩かないと行けないのですが。

ポートワイン ポルトの名物といえば、文句なくこのポートワインでしょう。ポートワインというとルビー色というイメージがありますが、セラーの説明によるといくつかの種類があるようで、ポルトワイン研究所(IVDP)のページに詳しく書かれています。主要なのは白、ルビー、トニー、ビンテージの4種類。それに加えてLBV(Late Bottled Vintage)というビンテージワインだけどフィルターを通してボトルに詰めたなんてのもあります。白は食前酒、赤はデザートワインとして飲むのが普通なのだそうですが、どちらもそれぞれ個性があっておいしい。セラーごとに味が違うので飲み比べるのもいいかもしれませんが、セラーの見学は一定時間毎に開催される英語ツアー(葡語が堪能な方は葡語ツアー)でしか入れませんので、事前に時間などを調べておく方が良さそうです。私の場合はボートツアーのおまけに着いていましたので、ふらっと立ち寄ってみましたが。それにしても、このツアーで最も幸せそうだったのは、フィンランド人の老夫婦。ワインを飲んで上機嫌でいろんなことを他の参加者にしゃべっていました。それにしても、フィンランド国外でフィンランド人に会うのは、おしなべてこういう施設なのは何故なんでしょうか。

夜! でも、私にとってポルトに来て最もうれしかったのはこれ、夜が来たこと。あまりにうれしくなったので、着いたその日の夜は写真を撮りまくってしまいました。漆黒の闇もネオンサインも本当に久しぶりです。本当にゆっくり寝られます。

フットボールモード 暗い街でワインを飲みながら、ポルトガル料理に舌鼓を打つのは最高なのですが、今日は早々にホテルに引き上げてきました。今日はサッカー準々決勝。運命のポルトガル=イングランド戦が行われます。街は既にサッカーモード一色。ここに来るのに経由してきたフランクフルトもそうですが、フィンランドにはなかったワールドカップ熱を感じます。ポルトガルは、オランダとのイエローカード16枚、レッドカード4枚の死闘を乗り越えての一戦ですから、いやがおうにも盛り上がること必死です。それにしてもオランダとは大航海時代以来因縁の関係。試合が異様に荒れたのは、だからというわけでもないんでしょうが。

ホテルで息を潜めてテレビを見つめること数時間。120分に及んだ息詰まる死闘は、五人目クリスチャン・ロナウドのペナルティ・キックが決まって漸く決着がつきました。決着がついた次の瞬間、ホテルから階下の通りを眺めると、周辺の車から人が両手を突き上げて降りてきました。それまで死んだようになっていた街が、一気に息を吹き返したようにお祭りの始まりです。私たちも、夕食を食べるべく、近所のマクドナルドへと出かけます。

お祭り 表通りはすっかりお祭り騒ぎ。ポルトガル国旗を掲げた車がそこら中を行き交い、互いに旗を振り、クラクションを鳴らして勝利を祝います。私たちの声も入ってしまいましたが、こんな状況(QTムービー240Kbyte)です。いやほんとにお祭りです。

中央広場 共同発表できた友人は、自分が少年サッカーの審判までしていることもあって、街の真ん中の広場に設置されたテレビで観戦していたそうですが、試合が終わると同時に60前後のおばさまたちに捕まって、一緒に踊っていたとのこと。本当に街はお祭り騒ぎ。翌日にはこんな具合に祭りの後だけが街の真ん中に残されていました。この夜静かだったのは、ホテルの近所でちょっと覗いたブラジル料理店ぐらいだったでしょうか。

エンブレール 二日後の4日、仕事で立ち寄ったハンブルグから、ドイツ=フランス戦から逃げるように、フィンランド航空の最新鋭機、ブラジル製の Embrael 170でヘルシンキへ。なかなかスピード感溢れる快適な機体です。午後10時半、ヘルシンキに着いたらすっかり夕方。日はすっかり傾いて、ヘルシンキにも夜がやってきていました。

一向に決まらないドイツ=イタリア戦を90分間が終わるまでヘルシンキ空港でビールを飲みながら観戦した後、日がとっぷりと暮れて水平線上に夕焼けを残すだけのヘルシンキ空港を23時59分発オウル行き最終便で飛び立ちます。実際にはロンドン便との接続のために20分ばかり遅れて出発です。

オウルはまだ夜がない オウル空港には予定より遅れて午前1時半頃到着。そこからタクシーに乗って自宅まで帰ってきました。午前2時のオウルは少しは暗くなってきた物のまだまだ夜の闇にはほど遠い。うっすらとした白夜が続いていました。まだ夜の帳がやってくるまでには、もう少し時間がかかりそうです。


貧乏 PS.ポルトガルのスーパーでこんな商品を見つけました。その名も "BIMBO"。うーんシュールぅ〜♪。

ずらっと貧乏 どうやら、パンか何かのシリーズのようなのですが、これだけずらっと並ぶとたまりません。妻と爆笑しながら写真を撮っていたら、ポルトガル人が怪訝そうな顔でこっちを眺めていました。