9月10日 新学期


雨の秋 ここのところ、雨が続いています。フィンランドの雨の秋がやってきました。秋は、寒い、暗い、湿気の多い季節です。

こうなってくると、夏のようにアウトドアのレジャーというわけには行かなくなります。勢いテレビを見ることが増えてきます。それに併せているかのように、各チャンネルとも名画の放映が増えてきます。フィンランドでの映画館の入場料は、映画にもよりますが、一番高くて50FIM。それでもテレビで見るとただですからありがたいです。しかもチャンネルによっては、間にいっさいコマーシャルを入れずに映画を放映してくれることまであります。もしかしたら充分なCMがとれなかっただけかもしれませんが。

面白いのは日本の映画も結構放映されること。ここのところ見たのは、「鰻」「侍フィクション」「七人の侍」なんて所でしょうか。最後には「このビデオは放映に用いてはいけません」なんてロールがそのまま流れたりして、どきっとさせられることもあったりします。(^^;;

もちろんレンタルビデオを借りてみることも結構普通です。先週の週末は友人の提案で「24時間映画マラソン」なるものを行いました。早い話が24時間映画を見続けようと言うものです。金曜21時半から土曜21時半まで、途中食事やらトイレ休憩を取っているので、ずっと映画が流れていたわけではありませんが、これだけの映画を24時間かけて延々と見続けると、さすがに疲れます。(^^;

閑話休題。秋は新入生の季節です。大学の構内には新しい自転車がひしめき合い。構内には若い学生がうろうろしています。これからどの講義を取るのか、どんな勉強をするのか、あちらもこちらもよくわからずにうろうろと言ったところです。 大学には新入生が溢れる
構内PCには列が この時期一番忙しいのは、技官の方々。新入生のメールアカウントのようにてんやわんやしています。先週一週間は、技官室の前から行列が無くなることはありませんでした。今週の新入生はあちこちのPCでトラブルを起こしては、技官を呼びつけています。
フィンランドの大学制度は日本と違うという話は以前に一度書きましたが、今日はそれが学生のあり方に与えている影響みたいな物を書いてみようかなと思います。

おさらいになりますが、フィンランドの大学には学士卒業は一般的にはなく(一応制度としてはあるそうです)。修士コースと博士コースに別れています。

修士コースは日本の学部生に限りなく近く、「お勉強をするために」大学にやってきます。コースの授業を取り、単位を厚め、最後に少しだけレポートになる研究をして大学を出ていきます。アメリカの大学で言うと「教育機関」であるコミュニティカレッジに近い役割を果たしています。フィンランドは国策で、「国の人的資源を最大限活用できるようにするため」に、大学を含めた教育はタダ。社会人にも広く大学教育の門戸は開かれています。講義を進めるのは教授陣を中心に博士学生までを含めた広範な人材が投入されています。修士コースはまさに「高等教育機関」です。

一方、博士コースはまさに「研究機関」です。もちろん講義があり、ちゃんと単位は集めないといけませんので、勉強が全くないというわけではありませんが、それ以上に研究活動に比重が置かれます。

博士学生には二つのタイプの学生がいます。一つは企業や国立研究所で働きながら博士を取る学生。面白いのは国立研究所VTTにも、「教授職」がちゃんとあり、仕事としての研究プロジェクトを引っ張ると同時に、学生の博士論文指導も行っています。

もう一つのタイプは、大学で主に活動する「プロパーの」学生。大学で研究活動を行い、博士研究を進めます。ただし日本の学生とは大きく異なり、彼らは主に研究プロジェクトの構成員として「雇われて」います。つまり彼らは職業として研究を進めているわけです。職業として研究活動を行うわけですから、博士課程の学生になるにはちゃんと「履歴書」を提出することが求められる場合が多いようです。プロジェクトで採用されれば、きちんとオフィスが与えられ、研究活動を行うことになります。

一方で大学スタッフとして、講義の一部を担い、修士コースの学生実験を主催し、大学システムのメンテナンスに携わります。もちろんこれらは全て職業としてなされ、ちゃんと報酬が与えられています。仕事と報酬の関係がきちんとしているので、フルタイムで雇われているとちゃんと普通の職業と同様に5週間程度の夏休みを取ることが出来ます。このあたりは社会人と何ら変わることはありません。社会人との唯一の違いは、仕事が学位に直結しているぐらいのことでしょう。授業料を払って博士課程に通い、一方で学生の世話をしながら自分の研究も進める、非常に中途半端な立場の日本の博士学生とは大きく異なった立場に置かれています。

日本的に考えると、「プロジェクトで働かされたら、自分の研究が出来ずに博士がとれないのでは」という危惧もあるでしょうが、その点は割合うまく設定されているようです。通常プロジェクト計画書では、予算、研究計画、成果の適用先など日本で書くのと同様の内容の他に、「このプロジェクトから博士を何人出す」という計画も書くことが求められます。この計画に従って、プロジェクトで活躍した学生は、それを元に博士論文をまとめるわけです。とはいっても、当然トラブルが全くないわけではないですが。

博士学生はプロジェクトの構成員として働くだけでなく、時にはプロジェクトの実行責任者として、外交、予算管理、研究管理のいっさいを行うこともあります。一般的には卒業までに一度はプロジェクト管理責任者として働くようです。従って博士取得者というのは、一般的に、プロジェクトの回し方まで知っている、プロの研究職ということになるわけです。近年EUベースのプロジェクトが増えていますので、外交の範囲はヨーロッパ全域まで広がっています。国際会議というのは、実は学生の外交の場として主に機能していたりします。発表のためだけに国際会議に行く博士コースの学生というのは、まだ駆け出しの学生です。

「教育機関」としての大学、「研究機関」としての大学。この二つをコース別にきちんと分割して実現しているのが、フィンランドの大学がヨーロッパで一定の地位を占め、海外からの就学希望者を一定数集めている理由なのかもしれません(もちろんそれ以外にも沢山理由はあるのですが)。どちらがいいとは一概にいえないところですが、日本の大学のあり方とは大きく異なっていることは、紛れもない事実です。


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