6月23日 湖水地方の旅 (前編)


夏至の後、殆どの人たちは休暇を取ります。だいたい夏至を頭に4-5週間といったところでしょうか。私の方はそんなに休みを取ってられないのですが、日本から妻も来ていることですし、フィンランドで一番美しい地方といわれる湖水地方へドライブすることにしました。

オウルからヘルシンキ=バンター空港へ飛び、そこでフィヨルド観光に出かける両親と別れてまずはレンタカー窓口へ。バンターのレンタカー窓口は国際線ターミナルと国内線ターミナルのちょうど中間地点にあるので、めちゃくちゃ遠い。人員を減らしたいのはわかるけど、わざわざそんな不便なところに作らなくてもいいじゃんという感じです。
日産・ミクラ ハーツの窓口で、保険やらマイレージ登録やらで一悶着あった後、駐車場でレンタカーをゲット。今回は安く押さえるのに最下級クラスの日産・ミクラです。

ところが今回の車はひどい。何となく真っ直ぐ走らないなぁと思ったら、ハンドルのセンターポジションがずれている。ハンドルを真っ直ぐ向けると車は真っ直ぐ行かないわけです。しかも、ウォッシャー液が全く出ない。フロントを開けて調べてみると、液はたっぷり入っています。どこか詰まってるわけですね。

何をそんな細かいことをとお思いかもしれませんが、フィンランドはシベリアの続きです。夏森を抜けるルートを走ると、あっという間にフロントグラスは潰れた虫で一杯になります。ウォッシャーが効かないのは致命的です。

仕方がないので炭酸水で窓を時々拭きながら、目的地を目指すことにしました。

ミクラですから、スピードがそれほどでないのは承知の上。バンターから高速道路に乗って、一路ラハティ(Lahti)へ北上。ヘルシンキ周辺の高速道路は非常にきれいに整備されています。通常は大変混雑するところなのだそうですが、今日はユハンヌスのお休み。首都圏は殆どもぬけの殻状態になっています。 高速道路
ボートに乗る人 ラハティで高速を降りて、平地にいきなりそびえ立っている、コンクリート造りのスキージャンプシャンツェを左手に見ながら西に進路を取り、コウボラ(Kouvola)、そして湖水地方の入り口ラッペーンランタ(Lappeenranta)を目指します。

今日はユハンヌスらしい最高の天気。ずーっと太陽を楽しめる日和です。前を走っているボートを何となく見ていると、突然頭がにょきっと出てきました。ボートに乗って、日光浴を楽しみながらのドライブのようです。一応違法らしいですが。

途中ラッペンラーンタ手前で、面白い看板を見つけて寄り道。"vaaka"とは、計量所と言う意味だそうです。この先に工場がありましたから、それ関係でしょう。 vaakaへの看板
道ばたの花 ままそれはさておき、ラッペンラーンタをすぎたあたりから、森が切れ、左右に時々湖が見えてきます。湖水地方と呼ばれるカレリア地方の始まりです。

森と湖を交互に左右に見ながら、ロシア国境を隣接する町イマトラ(Imatra)をすぎて、少し北へ回っていきます。

そして、国境の町パリッカラ(Parikkala)で車を止めました。パリッカラのパーキングからロシア国境まではほぼ5km。まさにロシア国境目前です。パーキングのカフェのメニューを見るとフィンランド語・スウェーデン語・英語と併せてロシア語が書かれています。 パリッカラの地図
国境注意の看板 パーキングには実際に国境注意の看板が立てられ、すぐそばの湖の橋の下を除くと「ここから先国境につき進入禁止」の立て看板が見られます。フィンランド人はベリーやキノコを取りに森に入りますし、湖で泳ぎも釣りもしますから、これはきちんと知らせておかないと大変です。夢中でベリーを摘んでいて、気が付いたらロシアだったと言うことになりかねません。

ま、国境付近はきちんと木が刈り取られていて、森が切れていますけど。列車やバスで国境を越えてくると、この木が切れているボーダーゾーンを見ることができます。

国境につき進入禁止の看板の傍らには、古い手漕ぎボートが乗り捨てられていました。誰かが国境をこっそり越えてやってきたのかもしれません。

10年前、私が初めてフィンランドに来た1991年11月はソビエト連邦最後の月でした。当時は私はサンクトペテルスブルグから列車に乗って国境を越えてきましたが、国境検問所で沢山の旅客がフィンランド入国を許されず列車をおろされたのを覚えています。妻も同じ年の夏、フィンランドに滞在し、ちょうど当時の首相らによるクーデターが起こったときに、湖水地方に滞在していたのですが、当時は全体の雰囲気が大変ぴりぴりとしていたそうです。

国境に付き進入禁止の看板
国境監視台 それから3年後の1994年夏に私はヘルシンキ工科大学に滞在し、改めてサンクトペテルスブルグを訪れましたが、そのときの国境検問は簡単なものでした。ロシア側では全員荷物を持ってバスをおろされましたが、荷物検査機のコンソールを覗くと、何も写っていませんでした。もう維持するお金がなかったんでしょう。

監視所などはありますが、まわりの雰囲気は至って平穏なもの。今日のフィンランド=ロシア国境は平和です。

この4月、フィンランドはシェンゲン条約加盟国になりました。シェンゲン条約加盟国間の移動はビザが必要なくなる(パスポートコントロールが省略される)反面、非加盟国と国境を接している国は、領域外からの入国管理をすることが要求されます。フィンランドはロシアと長い国境を接していますので、責任は重大です。今国境検問は改めて厳しくなっているのでしょうか。

湖の対岸にある、ロシア=カレリア共和国はフィンランドが第二次世界大戦で失った領土です。この地域にはもちろんフィン族が暮らしています。

フィンランドは第二次世界大戦中、ドイツによって複数の町を焼け野原にされ、その後ドイツを追いかける形で攻め込んだソ連によって、北海からカスピ海にかけての広い地域を奪われました。フィンランド人は概してロシア人が嫌いです。それは独立前の帝政ロシア占領下時代の体験とともに、この体験に寄るものでしょう。ヘルシンキを旅行して、パブなどで飲んでいると、同席したフィンランド人がすぐに北方領土の話を始めるのは、第二次大戦中にだまし討ちの形でソ連に領土を奪われた国という共通項を見いだしているからに他なりません。

国境越しにロシアを望む
プンカハリュの景色 ロシア国境をいろんなことを考えながらひとしきり眺めた後、今度は北東に進路を取って、プンカハリュ(Punkaharju)を目指します。プンカハリュは二つの湖に挟まれた、ちょうど天橋立のような所。道路の両側に海かと見まごうばかりの大きな湖が見渡せます。ここが湖水地帯でも有数の風光明媚なところ。湖岸に立つと海と同じように波が立っていますが、水を飲んでも塩辛くはありません。

まさに森と湖の国フィンランドの景色です。

プンカハリュから少し走ると今日の目的地、サヴォンリンナ(Savonlinna)に到着です。この町も二つの湖に挟まれたところ、中州に町が出来たようなものです。湖水地帯はここしか通るところがなかったと言わんばかりに、鉄道も道路も全てここを抜けていきます。

到着して町で食事をし、湖岸沿いを少し散歩しました。サヴォンリンナのシンボルオラヴィ城(Olavinlinna)が夕日を映して美しく輝いていました。

夕日を映すオラヴィ城
サヴォンリンナに沈む夕日 今日は夏至の翌日ですので、日が一番長いはずですが、ここではちゃんと夜らしきものが来ます。北緯65度のオウルと違って、北緯62度弱のここではきちんと日が沈みます。

ほぼ一月ぶりに見る夕日です。


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